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みんなの「歴史」ブログ


江戸人は、法の運用上手である

2009/03/22 17:44
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【「世に棲む日日」(司馬遼太郎著)シリーズ(5)】

 我が国法制度における「建て前」と「運用」との使い分けは江戸時代から既にあったものだとする司馬遼太郎の指摘は興味深いと思いました。

<<師匠が罪人になった以上は、その学問にも罪があるというのであろう。
 もっとも、それは「たてまえ」である。
 「たてまえ」ということには、説明が要る。江戸体制はむろん西欧風の法治国家ではなく、法はきわめて不備なものであったが、運用をうまくやることによって世の中が維持されていた。江戸人は、法の運用上手であるといっていい。このばあいも明倫館で山鹿流を学んでいる連中が、「たてまえ」をとる藩庁に対し、「おそれながら」という嘆願書を連名でさしだした。家元の吉田寅次郎は罪人になったが、従前どおり山鹿流を学ばせてほしい、ということである。藩庁では、
「嘆願のすじ、もっともである」
 ということで、さしゆるした。「たてまえ」と「実情嘆願」というあいだで矛盾を調整してゆくというやりかたは、日本の法意識にぬけきれぬ習慣をつくり、明治後、法治国家になってからもそれはつづいた。>>

 憲法問題に関する何かの書物で、20年ほど前かなぁ?、読んだことがあります。戦後我が国の「裏取引政治」の根源は「『憲法改正』を引っ込める代わりに『それ以外を自民党の言うとおりに認める』という自民党と社会党との55年体制での国対政治にある」という趣旨のことが書かれてあったと記憶しています。

 これはまさしく、自民・社会両党の私利私欲や既得権益の配分の問題であって、司馬遼太郎が言う「矛盾の調整」という高尚な機能とは異なるような気がします。先の大戦後に、この国はおかしくなってしまったのでしょうか?。吉田康人は、明治維新に誤りがあったと考えていますが、司馬遼太郎の話をもっと聞いてみたいところです。
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国家の窮迫を憂え、泣く

2009/03/12 01:22
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【「世に棲む日日」(司馬遼太郎著)シリーズ(4)】

<<泣く、といえば、松陰は水戸を発って七日のうち、白河城下の旅籠でも泣かねばならなかった。江幡五郎と別れるためである。
 −−この夜、酒を置く。
 ただし、下戸の松陰は唇を湿す程度にしか飲まない。宮部鼎蔵と江幡五郎は酒豪といってよく、さかんに飲む。江戸のころ、酔って古今の人物を談じ、忠臣義士のことにいたると、
「江幡まず泣き、寛斎、鼎蔵もまた泣き、座中みな泣く」
 と松陰が書いているように、江幡はこの「泣社」のなかでも感激屋の最たるものであった。ちなみに人間は近代に入ると、泣かなくなった。中世では人はよく泣いた。中世よりもはるかにくだって松陰の時代ですら、人間の感情は現代よりもはるかにゆたかで、激すれば死をも怖れぬかわり、他人の悲話をきいたり国家の窮迫を憂えたりするときは感情を抑止することができない。>>

 司馬遼太郎はこのように書いています。しかし、古と比較する術を吉田康人は持ちませんが、現代でも「泣く」人は大勢います。現代人のほうがむしろ涙もろいのではあるまいか?。激すれば「他人を死に至らしめる」をも怖れぬも急増しています。ただ、現代日本においてそれらはみな個人的な事情においてであって、国家の窮迫を憂い泣く志士と出会うことはまずありません。
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秩序論者・吉田松陰

2009/03/06 15:08
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【「世に棲む日日」(司馬遼太郎著)シリーズ(3)】

 難解な一節ですが、秩序遵守主義者だからこそ旧態依然とした秩序を破壊したくなるという気持ちは痛いほどよくわかります(笑)。

<<主殿に感心する松陰は、かれが秩序ずきであることを物語っている。同時に大鉄槌をふりあげ秩序を破壊しようとする衝動も、松陰の心の底にうごいていた。矛盾している。
 くりかえすようだが、松陰の専門は兵学である。兵学は軍隊行動をあつかう。軍隊の論理は秩序である。
 松陰は秩序論者であり、秩序美の讃美者でもあった。そういう自分を、いま引き裂こうとしている。
  (中略)
 松陰は矛盾している。秩序美を讃美するくせに、同時にものや事柄の原理を根こそぎに考えてみるたちでもあった。原理において正しければ秩序は無視してもかまわない、むしろ大勇猛をもって無視すべきであると考えている。いや、いまはじめてそのことを考えた。>>

 「社会の秩序、政治・行政の秩序、組織の秩序・・」を振りかざして秩序をただただ守ろうとする者は、守旧派であって、秩序論者ではありません。こういう人達にとっての秩序は自らの既得権益を守るための道具にしかすぎない場合が多い。社会全体の利益や原理原則を守ることを第一義に掲げる吉田松陰のような秩序論者はそこが大きく違う。・・というのが吉田康人の経験則です(笑)。
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用士

2009/02/26 16:28
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【「世に棲む日日」(司馬遼太郎著)シリーズ(1)】

 2月23日付「やすとログ」でご報告した「世に棲む日日」から吉田康人が学んだことをがんばって連載していきます。

 吉田松陰の幼少時代からの秀才ぶりは説明不要でしょう。以下は、俊秀な少年の評判を聞きつけた長州藩主・毛利慶親(敬親)が吉田松陰に初めて講義をさせた際の一節です。

<<「用士」
 というくだりは、藩主が感嘆したほどに名講義であった。

 用士は士を用ふるにて、此の篇、上家老よりして下群臣に至るまで、其の中にて賢才を目きき挙げ用ふるの法を云ふ。士を挙げ用ふること主将たる人の上にての急務なり。如何となれば、主将何程才能ありても賢才集まらざれば、治には国を治め民を安んずること能はず、乱には戦えば必ず勝ち、攻むれば必ず取り、国威を天下に振るひ、大業を後代に垂るること能はざるものなり。後醍醐天皇、中興の大業を成し給ふは、大塔の宮をはじめ新田、楠、名和、赤松などの名将多く集まればなり。漢の高祖帝王の業を創め給ふは、張良、蕭何、韓信などの如き賢才多く集まればなり。>>

 吉田松陰はこの時、わずか10歳でした。
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「世に棲む日日」

2009/02/25 23:04
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 2008年8月16日付「やすとログ」で少しご報告したのですが、いつもお世話になっている会社社長からのご紹介で読んでいた司馬遼太郎の長編小説「世に棲む日日」(司馬遼太郎著。文春文庫)を読破しました。ほかの書物との併読だったので思いのほか時間が掛かってしまいました。

 嘉永6(1853)年、浦賀沖に姿を現したのはペリーが率いる黒船。それ以来、攘夷か開国か?、勤王か佐幕か?を巡って政治闘争の激しい嵐が吹き荒れます。骨肉の抗争を経て倒幕への主動力となったのは長州藩。その思想的原点には吉田松陰と後継者、高杉晋作があります。二人の運動を「狂気じみた凄まじいまでの尊王攘夷運動」と評する向きもあります。読破しての印象は「この狂気がなければ倒幕の歴史も変わっていたはず」。

 日本のいわゆる「保守派」と言われるかたがたは「日本は戦後、国家の進路を誤った。戦後教育、戦後民主主義が日本を弱体化させた」とよくおっしゃいます。しかし、これまでにもあちこちで述べてまいりましたしこれからも機会があれば主張していきたいと考えているのですが、そのことよりもっと大きな誤りがあったと思っています。戦後ではなく、「明治維新」時にこそ進路選択に誤りはなかったか?。それが吉田康人の歴史観の最大の問題意識です。吉田松陰、高杉晋作の思想的原点と実際の明治維新との間には決定的な乖離が生じたはずです。この国がこんなになってしまった(笑)根本原因をその辺りに求めています。

 日本の「明治維新の誤り」直前の様子を知り、そして、倒幕の純粋な思想的原点を知るという意味でこの小説は大変勉強になりました。「やすとログ」で「世に棲む日日」の断片を連載ものでお伝えしていこうかなぁ〜?と計画しています。
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